大学院生活

 

 

▼大学院生になって約2ヶ月が経った。

 

自分が一年前に行った入試説明会に在校生側で参加して入試の勉強法なんかを話す自分に強烈な違和感を覚える。

研究内容を聞かれても話している内容が自分のやることだという実感がなく口からぼろぼろこぼれていくだけだった(実際に何もやっていないからでもある)。

 

 

どこにいても感じる「ここは自分の居場所じゃない感」はどうしても拭えなくて、そんな自分のことがどうにも嫌になる。

 

 

 

 

想像していたように毎日が刺激的で、同じ国で同じ22年間を過ごしてきたはずの人間とここまでバックグラウンドが異なるのかと驚くことも多くて

 

話が合うとか合わないとか、そういう関係性が築けるのは大学生までだったのかもしれない。

難しい話も下らない話もしてもしなくても何も変わらないんじゃないかという気がしてくる。

 

 

 

 


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▼綺麗な景色に目を細める事とか、美味しいものに素直に目を見開くことが難しい。

 

私だって天気がいい日は嬉しいし、できるなら美味しいものを食べたいと思うけど

それをリアルタイムに表現して共有することが難儀に感じる。

 

そしてそれが上手に大胆にできる人が羨ましくて時に妬ましさすら抱いてしまう。

 

 

 

 

綺麗な景色に対してカメラを構えることがすごく苦手で、後から思えば写真を撮っておけばよかったと後悔することも多いのに。

 

目の前にしている時はいつでも思い出せるような気がしてしまうし、いつでも会えるような気がしてしまうし、いつでも食べられるような気がしてしまう。

 

 

 

感情がリアルタイムで追いつかないのは今に始まったことではないので仕方が無いような気もしてきているが、きっとその場で楽しめるのが一番なんだろうな。

 

あとから噛み締める楽しさもそれはそれでいいものだけど、現場で楽しんだからと言ってあとからそれが出来なくなるわけではないので。

 

 

 

 

 

▼今になって考えてみると卒研生としての1年間、今まで自分が思っていた以上に先生にお世話になっていたことを実感する。

 

もちろん、1年生から面倒を見てもらい、進学の相談をして、配属が決まり、受験勉強まで付き合ってもらって今更何をという感じではあるが。

 

 

 

入学当初から本質的に魚に興味がある訳では無い私に対して先生は大分危惧していたところがあるようで、

 

全然関係ないサンゴのサンプリングに半ば無理矢理連れていってもらったりしたことは今になってみればありがたいことだったような気がする。(人手が足りなかっただけかもしれない)

 

 

 

所属が変わってもいつまでも教え子であることは変わらないし、感謝でいっぱいすぎてエモい。エモすぎて突然語彙力がなくなる。

 

 

 

 

 

▼所属があって、家族がいて、友達がいて、猫がいて、何過不足ない生活ができていることが当たり前になりすぎている。

 


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物足りなさを感じるのは贅沢だけど、出来るだけ野心的でいたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、ゼミの論文がわからなさ過ぎてセンチメンタルになった深夜からお送りしました。